子どもの名前を考えている。
読みやすく、呼びやすく、押し付けがましくないものがいい。
思うままに候補を出していく。
すると、友達の子どもと似ている、とか、
これでは愛称が兄と同じだ、とか、
うちの会社の社長と頭文字の音が同じだ、とか、
いろいろと気になり、その多くが削除されてしまう。
親類や友人、上司や同僚、その子ども、昔の恋人、などなど、
その人物そのものと結びついて、深く記憶に残っている名前。
頻繁に会う人と、できれば二度と会いたくない人。
好きな人と嫌いな人。良くも悪くも気になっている人々。
自分自身と密接にかかわり、影響を与えた名前ほど、消去することになる。
おそらく当分、忘れることのない人々の名前が、候補から消えていく。
残ったいくつかの名前を眺める。
苗字と並べると自分の家族らしくも見えるが、
真新しく、よそよそしい。
自分自身との距離感を、はかりかねてしまう。
持ち主を持たない名前は不安定だ。
試しに、声に出して呼んでみると、
何にも跳ね返ることがないから、遠くに消えていく。
結局まだ、決められないでいる。