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もう会わない人

 

もう会わない人がいる。

 

小学校3年生と4年生のころ、毎日のように遊んでいたM君は、借家の一軒家に住んでいた。

「借家」という言葉を、僕はM君に教えられて知った。お父さんは「自由業」の人で、その言葉もM君からはじめて聞いた。

 

僕は毎日、M君の家に通った。多分、僕の家より少し古くて、でも少しだけ広い家の2階。そこで僕たちは「ニンテンドー64」をした。「牧場物語」や「ドンキーコング64」。クラスメートの話題にのぼらないゲームばかりだった。厚紙を切ってバトルカードを作った。家の前の空き地でボール遊びをした。そのどちらも、僕たちがルールを作った。一度休み時間に、みんなにボール遊びを教えたことがある。でも、2人のときのように、楽しくはならなかった。

 

遊んでいるときに、遊んでいること以外の会話をしなかった。うわさ話や世間話の楽しさもつまらなさも知らなくて、ただ目の前の遊びに熱中した。議論して、ときにケンカもして、遊びを作った。たくさん。僕たちは同じくらい幼くて、だから居心地がよかった。

 

5年生でも、僕とM君は同じクラスだった。でも僕はもう、M君とは遊ばなくなった。放課後は校庭で、ほかの友達とサッカーをするようになった。

急に、M君といることが恥ずかしくなった。M君はたぶん、全然変わらなかったのに。

 

そのころ女子のあいだで、「プロフィール帳」というものが流行っていた。友達にプロフィールを書いてもらって、それを集めてファイリングするものだった。

僕はだれかに頼まれて、それを書いていた。「親友はだれ?」という項目で、迷っていた。

近くにM君がいて「おれじゃね?」と言った。僕は「ちげーよ」と言った。

本心からそう言った。

 

小学校を卒業してからは、M君と一言もしゃべらなかった。中学も、高校も、同じ学校に通ったのに。おたがいが知らないふりをして、通りすぎるようになった。

 

ときどき彼を思い出す。

今はどうしているだろうかと、一生わからなそうなことを考える。

そして幼い自分の残酷さと、そう気がついた日からの居心地の悪さ、すれ違うときの冷や汗を思い出す。

「親友」の欄になにを書いたかは、思い出せずにいる。